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【私の気功と霊能について】
私が学んだのは医療気功である外気功という区分の気功法です。
当時は、中国の病院でも使われていると聞きました。
内気功である太極拳は朝夕に中国の公園などでよく見かけられる体操法です。
内気功は自身の氣を練り上げ、高めていくことで心身統一・健康促進が向上する気功法です。
しかし、内気功では医療気功には向かず、人に施しをした場合にはひどく疲れが出るようです。
外気功の場合は自然の氣を取り入れますので、自分の身を酷使せず、人に施しをすることが可能と教えられました。
私の師匠は日本で気のスペシャリスト11人に選ばれた先生でした。
とても面倒見のいい方でそういう面からも尊敬できる方でした。
残念ながら他界されましたが、荼毘に付される前のお顔を拝顔しました時「やりたいようにやりなさい」と言われた気がしました。
私は師匠の温かい最期のメッセージを受け取り、その気になって今があります。
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私が実際に目視でしっかり氣をみたのは独立した時です。
療法院のベッドで横になる患者に向けて気功療法を行っていました。
私の手から白い湯気のような煙のようなものが出てきて、患者の頭部に到達して、その時に患者の頭部からも白い氣が出てきて、私の手から出てのびた氣と交わり、融合しているかのように見えました。
私自身、自由に動く氣のあり方を見て驚かされました。
その患者は円形脱毛症で来られていて、ベッドで丁度うつぶせの状態になっていました。
ご本人はいびきをかいていましたが、寝てはいないと言い張っていました。
いわゆる半眠状態でいたようです。
その後、円形脱毛症は改善されました。
それをきっかけといいますか、私は氣をみることに興味が薄れてしまい、そのせいでしょうか、それ以降に氣を見ることはなくなりました。
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外気功には、遠隔気功という遠くはなれた方に向けて氣を送ることができる術があります。
師匠は二つのコップを使い、一つにはお酒を入れて、もう一つのコップにはお酒を入れずに置きました。
師匠は「いいか、空のコップに隣のお酒が入ったコップと同じ量のお酒が入っていることをイメージするんだぞ」と言われ、お酒の入ったコップはどこかへ持っていかれました。
私は師匠の指示のもと、空のコップにお酒が入っていることをイメージして氣を送りつづけました。
15分後くらいだったでしょうか、師匠が「大丈夫か、氣は送ったか?」と確認されて、私は指示されたままに氣を送った旨をお伝えしました。
それから師匠はどこかに隠したお酒の入ったコップを持ってきて、目の前に置きました。
「飲んでみろ」と師匠は言われ、ほんの少しだけ口にしました。
味は薄いというのか、お酒のにおいが消えていました。
今度は空のコップにお酒を注ぎ、「確かめてみろ」と師匠が言われ、そのコップのお酒を口にしたら、もともと日本酒が得意ではない私はにおいに少し圧倒され「ウッ、お酒です・・・」と言いました。
すると師匠は「違ったな、味が。遠隔は成功だ」と言われました。
味もにおいも変わってしまうことに私自身驚かされました。
師匠は「これはお遊びだ。本来は人の身体に向けて行い、血や細胞をきれいにする。分かるな?」と言われました。
「なるほど、そういうことか」と私は驚きつつも納得をしました。
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「邪気を抜く」の言い方を気功師はよく使います。
気功師には邪気を抜いた瞬間の波動が手のひらに伝わってきます。
感覚として痛みのような感じがします。
例えば、風邪の方の場合、気管支や肺のあたりでその痛みの波動が感じ取れます。
まさに飛んでくるような感じで痛みます。
その感覚があった時、病が治ってしまうことがあります。
私は師匠の指示でまだ幼い男の子の滲出性中耳炎を完治させたことがあります。
療法回数は4回でした。
手術もされていたのですが、耳に氣を送っている最中に手のひらに痛みの感覚が出て、邪気を抜いた、そのような感覚が起きました。
それが両耳に起こり、その後の診察した医師から「治っている。どうやって治ったんでしょう?!」と男の子のお母様に言われたそうです。
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私が当時習っていた外気功は、手を触れて行う仕方と手を触れずに行う仕方で療法していました。
臓器がわるい方の患部には直接身体に手を触れて氣を送り、もう片方の手で邪気を抜く療法を行なっていたのです。
全身に血流の巡りをよくするためには、身体に手を触れず全身にめがけて氣を送りました。
精神疾患の方の場合には身体には手を触れず頭に向けて氣を送り、その後に頭に手を触れて氣を送りました。
これが外気功の療法の基本となっていました。
しかし、やがてこの仕方では全く反応がないというのか、効き目がないようなそのような患者に出会いました。
氣というよりは、霊が問題となる人のようでした。
私はこのような患者に対し、最初はなす術がなかったのです。
気功師であればこのような経験を持っている方は多いと思います。
やがて私自身で浄霊浄化ができるようになって、他の気功院から「霊が関係しているからそこへ行ってください」と言われて私のところに来られる方がいました。
またある時は、整体の施術院の院長先生がお越しになられて、人の氣を多く受けてしまい身体が重くつらいので助けてください。と言われて来られました。
その先生は「針や氣もできるが、自分のこの問題だけはなぜか対処ができない。何故でしょう?」と言われていました。
療法の中で浄霊を施すと楽になられて「松林先生はどうやって私の重くつらい症状を治しているのですか?」と訊ねられました。
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気功と霊能は一緒のようで違うと思います。
氣も一般的には見えないので、霊に対する見方と同じように扱われる時がありますが、気功師でも霊に関して分からない方もいますし、肯定的ではない方のほうが多いのではないでしょうか。
それだけ気功と霊能は違うものだ。ということが分かるような気がします。
私が気功師として独立した時、まだ世間では堂々と霊を相手に対処する云々をサイトに書いている気功師や言っている気功師はいなかったように思えます。
しかし、今では霊を相手にすることを堂々とサイトに載せている気功師が多くいます。
気功師自体も霊という存在の認識が深まり、また乗じてその感覚も鋭くなり、わかるような人が出てきたということでしょうか。
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私は霊体が見えることは少ないです。
しかし、見えるということでこのようなことが起きます。
それは、イメージというのでしょうか、頭の真ん中あたりにいきなり文字が浮かんだり、映像が出てきます。
それが何かのヒントになるようです。
例えば、ご相談者に浮かんで見えた時、その文字の意味がご相談者の心の状態を示しているものであったり、気付く必要がある意味合いであったり、などがあるようです。
それから人の思いが伝わってきます。
これは人によって自分の心を読まれている感じを覚えられるようです。
私は心の中を読んでいるつもりはありません。
しかし、その方を想うとその方の色々な思いが波動としてこちらに届き、声に転換され、私はその方の思いの一部を認識します。
浄霊浄化は、書籍や誰かに付いて教わったものではなく、霊とコンタクトを取り始めた頃に守護霊から指導を受けたり、背後霊となる存在が私の身を動かして自然と浄霊浄化ができるようになりました。(今は身体を動かされる必要もなくなりました)
今でも浄霊浄化を自分で行っている意識はあまりありません。
私の周りに特別な存在が沢山居て、必要に応じて動いてくださっているんだ。という思いでいます。
浄霊浄化の仕方も行いはじめた当初よりはとてもシンプルになり、全く目立つようなこともなくなりました。
声を発することもなく、身体を動かすこともなく、瞬間的に終わることもあります。
よく聞かれるのが、道具についてです。
私は数珠を持ったり御札は使いません。
物品販売もしていません。
私はそのような仕方で行っています。
霊能感覚と申しますと霊や魂ばかりの話に聞こえますが、私の場合は「聞こえる」ということが主なのでそこにはチャネリングというジャンルを超えた世界・存在への交信があります。
チャネリングの大まかな内容はインターネットで検索すると分かります。
霊や魂だけにしぼった見方でなくなったのは、チャネリングを通して知った多彩なありとあらゆるジャンルの存在を認めた時に「限定をした見方はいけない」と思うようになったのがきっかけです。
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【浄霊浄化はオバケだけが目的ではありません】
浄霊の言葉にすぐオバケを思い出す方もいると思います。
確かにそのようなこともありますが、オバケとは限らない場合もあります。
以前、このようなことがありました。
「家の中をみてほしい」ということでお宅に出張して訪問したことがあります。
各部屋をみてまわったりしました。
その中で一番気になったのが大きな神棚でした。
そこの前に座り、意識を高めました。
霊的な意識を高めて、神棚に集中しました。
すると声が聞こえてきました。
「ここから出してほしい」
私は何が何を言っているのか確かめました。
「私は御宮からこの場所に連れて来られました。今は御札の中にいます」
と聞こえてきました。
どうやら神棚にお祀りされた御札の一枚から話しかけられていました。
「私を御宮に戻してほしい」
と今度は聞こえてきます。
どうやら御札の中におさまった神様が困っているようでした。
どのようなことかを確認しました。
すると「この場所は私が守る土地ではありません」と伝えてきました。
さらにどういうことかをお聞きして確認しましたら、神社の祭神は守る土地が決められていて、守れる場所とそうではない場合があるようなのです。
氏神様はその地を守る神様であり、その地から遠く離れた場所の地を守るにはどうやらご都合が悪いとのことでした。
よくよく考えれば、はるか昔、神代とも言われた頃、神様同士が争って、地を分けたことが日本書紀や古事記に出ています。
私がお伺いした家の土地とお祀りされた御札の神様は相性が合わなかったということでしょう。
御札の中におさめられた神様が苦しくなり、その思いの波動が周りの空間を圧倒し、神棚を中心とした周囲から異様な雰囲気がただよっていました。
ご相談者のメールでのお問い合わせでは、家族の気が立ってしまい険悪ムードになっています。家の中が何かおかしい。色々みていただけませんか?という内容事でご連絡をいただいていました。
私は御札の中におさめられた神様からのご事情を理解してすぐその場で浄霊浄化を開始しました。
私の身に御札から神様を移し、気持ちを整えて、お留守になった御札と共に配布した神社へ向かうことにしました。
神社に着いて、お留守になった御札はお焚き上げにするため、神社へお返ししました。
私に一時的に移した神様の御分霊は御宮の前に立って移し戻しました。
戻した瞬間、私のいつもの状態に戻れるので感覚的にわかりました。
これで浄霊浄化は終了です。
こちらのお宅ではそれからご家族の方がいきり立つようなイライラすることが無くなったり、家族が段々と穏やかになりました。とメールでご連絡いただきました。
浄霊浄化ではこのようなケースもあります。
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【どうしても居づらい場所の空間を落ち着かせる浄霊浄化】
簡単に二つのことが考えられます。
一つは居づらいと感じている人(A)への対処と施し
もう一つは居づらいと感じる場所(B)への対処と施し
人と場所、この二極(A、B)の関係性も思いながら、浄霊浄化を進めていきます。
難しいのは他の第三者が問題の重要人物となっている時は、その第三者(C)にも対処と施しが必要になってきます。
居づらい場所の周辺(D)にも何らかの影響を放つところがあるかもしれません。
その辺りも視野に入れる必要があります。
これらのこと(A、B、C、D)を統合して浄霊浄化を進めていきます。
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【仏壇の怪】
浄霊浄化ではこのようなケースもありました。(こわい話ではありません)
長く使われているご仏壇には意外と知らないことが隠されていることもあります。
ご相談者の女性がここ最近胸のつまりが取れないと言います。
何とも重苦しく、切ない気持ちになるとのこと。
誰もいないご実家の後を継ぎ、住んでからそのようなことが出てきたようです。
ご依頼では住まいのあちこちをみてほしいというご相談内容でした。
ご実家の家主となった女性から色々なお話をお聞きしながらまだ手入れがされていなかったご仏壇を掃除していただくことになりました。
家主の女性はすぐにでも始めたいと話されたので、私はご仏壇の中身をよく見て、掃除の手入れをしていいようにその為の簡単な浄霊浄化をしました。
ご仏壇は備え付けの古い造りで女性は一度も触ったことがないとのことでした。
その理由は生前のお父様がお一人でご仏壇をきれいにされていたとのこと。
お父様が亡くなられた後、ご実家は空き家となり、どなたもご仏壇の手入れはされていなかったそうです。
また、そのご家庭に伝わる古くからの風習で頻繁にご仏壇内を手入れしてはならないというものがあったそうです。
私は家主の女性にご仏壇内をきれいにするにはどのようにすればよいかを尋ねられて、物を下から順々に表に出し、きれいにするようにお伝えしました。
それからご仏壇内から供物入れや仏花、ろうそく立てや線香立て、鈴や数珠、ご位牌や過去帳を表に出し、最後に最上部の真ん中にお祀りされた聖観音の仏像を表に出しました。
それでご仏壇内にあるものはすべて表に出されました。
私は聖観音の仏像をお祀りしていた所の背面の板と重なるようにしてある一枚の薄い板に気付きました。
それは外せるようになっていて、私は気になり、その薄い板を外してみました。
薄い板を外すと一枚の紙が見えました。
ご仏壇の背面になる板に紙が貼り付けてあったのです。
そこにはお経がびっしりと書き込まれ、家を守護する祈願が記されていました。
その紙から異様な波動を感じとった私は霊的な意識を集中させることにしました。
すると声が聞こえてきました。
「ここから解放してください」
私には何らかの我慢を重ねてきたような声に聞こえました。
その紙自体は呪符と呼ばれるものでその当時に修行僧から祈願していただいたもののようです。
解放してください。と訴えてきた存在は、お経を書いた修行僧によって開眼時に封じ込められた僧侶の魂でした。
呪符はただ書くのではなく、それが生きるように開眼供養をします。
開眼供養は魂を入れることですが、その修行僧がした開眼供養ではご自分と同じ修行をした僧侶の魂を入れたのです。
私はただちにその呪符に降ろされた僧侶の魂を浄霊浄化しました。
その瞬間、お経が書かれた呪符からスゥーと感じていた気配が無くなり、感覚的に単なる紙と化したことがわかりました。
家主となった女性は胸に手を当て、胸のつまりが急に楽になったと驚きました。
まるでそれはついたてを外され明るみに出たものが解消されたようなことでした。
「不思議!これが原因だったの⁈」と家主の女性は話されました。
ご仏壇はきれいに掃除され、すべてを元の位置に戻し、私はそこで再び浄霊浄化をしました。
締めのきよめと申しますか、変なモノが入り込まないような意味合いも含めて行ないました。
後日、家主の女性から呪符におさめられた僧侶の魂について、なぜ、解放してください。と願っていたのですか?と質問されました。
私は僧侶の魂を浄霊浄化した時に聞いた内容をお伝えしました。
僧侶の魂からこのように聞いていました。
「私は私を降ろした僧と共に守護をしてきましたが、私一人では何もできません。私を降ろした僧と一対となってお互いの力によって守ることをしてきたのです。今はそれができません。(…この場から早く出たい。この呪符から解放され楽になりたい…)」と語っていました。
()内は僧侶の魂の思いです。言葉にして聞こえなくても思いが言葉のような状態で把握できる時があります。
私が思いますには、本来、呪符を開眼供養した修行僧が定期的に訪れ、ご仏壇にご供養していた時期は呪符に封じ込められた僧侶の魂も良かったのかもしれません。
しかし、修行僧の方もお亡くなりになられたのでしょう、お見えに来なくなり、修行僧の指導のもとでご仏壇内を手入れされていたお父様も亡くなり、その後に遺族の方がどのようにして扱っていいかわからなかったためにやがてご仏壇内にはほこりがたまる形となって、呪符に封じ込められた僧侶の魂も落ち着かなくなったのです。
感覚的に感じたことは、亡きお父様が定期的に訪れていた修行僧からご仏壇内は「私が来るまでそのままに。他誰にも触らせてはいけません」と指導を受けていたように思いました。
修行僧はそれだけ熱心にこだわりを持ってご仏壇を管理されていたと感覚的にわかりました。
呪符に封じ込められた僧侶の魂は開眼供養した修行僧がいない今、この場にとどまっていても何もできないと感じていたようです。
修行僧が来るまでのその家の監視役でありある意味で守護者であり、修行僧が来てはご仏壇周りや家屋を除霊して、それを定期的に行い、連携プレーのような形でその家を守っていたということです。
修行僧がした開眼供養は呪符に魂を封じ込めました。
ご自分が亡くなってもその封じ込めは解けることがなく、封じ込められた僧侶の魂はそのまま残され生きる形となった訳です。
何らかの魂が騒ぎ、その騒ぎ立てる波動が人に伝わり、その人の持つ波動がやがて乱れて、身体に異変をきたし、気持ちも荒々しくなることがあります。
今回はご仏壇内に貼り付けられた特別な呪符によって抜け出ることができなかった封じ込められた僧侶の魂が騒ぎ立てる波動を起こしていました。
これでこのご自宅はずいぶんとすっきりされたようです。
家主の女性からはすごく落ち着いて住みやすくなりました。とそれから少し経ってからご連絡をいただきました。
浄霊浄化ではこのようなケースもありました。
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